聖徳太子
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紙幣で見る聖徳太子

聖徳太子は何度も紙幣にその肖像画が使われているので、聖徳太子のお札を知らない人は子供くらいのものでしょうか。紙幣の肖像画として、一番多く採用された人物でもあります。その数なんと7回です。

過去7度採用された聖徳太子

聖徳太子の肖像画は過去に7回採用されています。百圓札を皮切りに、壱万円札までお札の顔として活躍してきました。現在でも通貨として使用できる百圓札もあります。

昭和5年1月発行

聖徳太子と夢殿の図案の百圓札が発行されました。大きさは93mm×162mm。昭和21年3月には通貨として使えなくなっています。この頃の世の中は、ヒトラーがベルリンにおいて、ナチ左派の一掃を唱えたり、エジソンが電気機関車を制作するなどしました。また、世界大恐慌のまっただ中でもありました。

昭和19年3月発行

昭和5年発行の百圓札よりも、若干色の薄いお札になりました。大きさは昭和5年のものよりも1mm大きくなっています。昭和21年3月には廃止されています。その頃の日本では、北海道の洞爺湖畔で大噴火がおこり、新しい山が生まれて「昭和新山」と命名されています。アメリカに日本がはじめて攻撃されたのもこの年です。

昭和20年8月発行

中央に聖徳太子の肖像画のある百圓札が発行されました。大きさは初めの百圓札の大きさに戻っています。これも昭和21年3月に廃止されています。ヒトラーが自ら命を絶ったり、玉音放送にて長いたたかいに終止符がうたれました。

昭和21年2月発行

同じく百圓札で、図案も最初のものと同じような図案が使われています。このお札は百円として現在でも使うことができます。この年、はじめて警視庁で婦人警官を採用、超人気アニメのサザエさんの連載が始まるのもこの年です。

昭和25年1月発行

聖徳太子と夢殿の図案の千円札です。76mm×164mmの大きさで現在でも使えます。日本放送協会が発足、急激に豊かになりつつある日本での、とある政治家の「貧乏人は麦を食え」の発言が問題になりました。

昭和32年10月発行

太子の他に、日本銀行が図案に使われている五千円札です。大きさは80mm×169mmです。日本電気工業界が、洗濯機が10世帯に1台と、家電の普及の状況を発表しました。この年に100円硬貨も発行されています。

昭和33年12月発行

太子と夢殿が図案になっている壱万円札です。現在の福沢諭吉になってからも、たまに通貨として使われているのを見かけます。テレビの受信契約が100万を突破し、東京の電話設置数が50万台となりました。

聖徳太子が採用された背景

日本銀行によると、お札の額面は政令で、肖像などは財務大臣が発表することになっています。お札の肖像を決めるには以下のようなポイントがあります。 ・実際に存在した人物で、知名度、業績があること。 ・史実考証の面から見ても、明確な肖像画や写真があるもの。 ・国際性のある人物 などが挙げられます。これにより聖徳太子のケースでは、実在の人物(と、言われている)で、十七条憲法を制定したり、仏教を広め、保護し、多くの業績があるというのがその採用理由のようです。

何度も採用された訳は?

高度成長期を迎えようとしていた日本に、GHQはそれ以前のお札に使われていた肖像は、使ってはならないと使用を禁止してしまいました。しかし当時の日銀総裁が、「聖徳太子は平和主義者であり、『和を以て貴しと為す』と言っている」と主張し、それが受け入れられて、その後もお札の顔として登場することになりました。余談ですが、お札に使われた肖像画は、百済の阿佐太子が描いたと言われていて、中央に聖徳太子、向かって右に息子の山背大大兄、左に弟の殖栗王と並んでいる肖像画です。日本最古の肖像画とも言われ、現在は宮内庁が管理しています。



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